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私たちが毎日食べているお米....
現在我々が栽培している稲はいつ頃から植え始まっただろうか?
自然の法則のいう観点からみると、我々が栽培している稲はある野生種から自然的または人為的に分化・発達し、様々な遺伝的な変異を経り、あるものは衰退し、またあるものは電波され、現在のような品種が栽培されるようになったと思います。
稲は大体的に南アフリカ?インド?中国?朝鮮半島?インドネシアなどに分布しているが、果たしてこのような稲の根元地はどこで、栽培はどこから始まっただろうか?
稲は大体的に南アフリカ?インド?中国?朝鮮半島?インドネシアなどに分布しているが、果たしてこのような稲の根元地はどこで、栽培はどこから始まっただろうか?
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今まではインドのアサン地方をその根元地であると思われましたが、それはアサン地域は地形的に東南アジアを流れている様々な江が始まる所であり、また民族や文化が交差する所であるということで、そのように推測され、一般的な学説として認められている。
稲の起源説には、インド起源説、東南アジア起源説、アサン起源説及び中国起源説などがあるが、数年前に大きい事件が起こった。これにより前述した一般的な農耕文化歴史の研究をやり直し、もしかすると農耕歴史の再定立が必要になるかもしれない。
その事件というのは、忠清北道清原郡玉山面小魯里一帯で、1997年、世界最古の稲籾が出土されたのである。
今まで出土された稲籾は、京畿道驪州郡欣巖里の炭化米が3,000年〜2,500年前、金浦が約4,000〜3,000年前、平壤の大東江辺が約3,000〜2,500年前、忠清南道夫餘が約2,600年前、全羅北道扶安が約2,200年前、慶尚南道金海が約1,900年前だったのに比べ、忠北清原郡の小魯里稲籾は14,000年前のもので、これは韓国だけでなく、中国江西省仙人洞の10,500年、湖南省玉蟾岩の11,000年前のものよりおよそ3,000年余り先立った世界最古の稲籾で、これはいままで稲の発祥地や栽培稲の起源地として推測されている学説を引っくり返し、朝鮮半島が稲の宗主国になるということになる。
忠清北道清原郡小魯里は、北側には?嶺山脈の牧嶺山(228.7m)、西側には國師峰(171.0m)があり、ここから南東へ3つの稜線が伸びている。
小魯里の南へ900mぐらい離れた所には錦江の主な支流の一つである美湖川が緩やかに流れているし、この美湖川を沿って清州盆地の平野が広々く広がり、韓国一の穀倉地帯をなしており、現在は「清原生命米」が全国農産物品評大会で2001年から3年連続にグランプリを受け、また10つの消費者団体が合同で評価する部門からも選ばれ、ラブミマークを獲得するなど、味と品質が認められている。このような見事な結果は地理的・農耕歴史的な背景に基づき、郡と農民が力を合わせ「自然の美、最高の米」というテーマで長い間研究し、努力してきた結果である。
清原生命米のテーマについて説明すると、「自然の美」というのは人間が住んでいるこの世の中で最も基本になるのは自然で、人間が生きていくのに必要な無形的・有形的なエネルギーを自然が供給しているから、自然の美を強調し、清原郡が最も清浄な地帯で、この地域で栽培された作物は人間を豊かにするという意味です。一方、「最高の米」とは、世界最古の小魯里稲籾の脈を継いで誕生した「清原生命米」は、世界第一の品質、最古の歴史を誇るお米という意味で、清原地域は農耕歴史が長く、穀物の栽培に最適の地であるという意味をもっています。
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