新石器時代とは?
 
   
   

新石器時代は今から約8,000年前、自然環境が大変動した時期である。
洪積世(更新世)の氷河期が終わり、沖積世に入ると、朝鮮半島には温暖化現象が起こる。これにより海面が次第に高くなり、新しい動植物が繁栄するようになる。このように洪積世の氷河期が終り、後氷期の新しい環境に適応しながら、朝鮮半島で定着生活をし始めた先住民の文化が新石器文化である。

ところで、一般的に新石器時代というと、後氷期以降に新しく習得した食糧供給手段、即ち原始農耕(又は牧畜)に基づいて食糧経済を展開した文化を指す。しかし、後氷期以降、地域によっては農耕は始まらなかったものの、土器の製作や磨製石器など、新石器文化の特長を持った文化が発展した地域もあった。

このような地域では、土器を基準に新石器時代を規定した。朝鮮半島の新石器時代もこのような範疇に属すといえる。即ち、朝鮮半島での新石器時代というのは、洪積世以後、最古の土器群の出現から金属の使用以前まで、主に漁撈と狩猟採集により食糧が供給された土器文化の概念で使用された。


 

  自然環境
 
   

これから1万年前、氷河期が終わり、現世に入って気温が上昇し、海面が高くなった。氷河期が終り、朝鮮半島は現在のような形態となった。海面の高さによって、陸地は頻繁に変化する。陸地もまた隆起と沈降の地殻変動により、1万2千年〜8千年ほど前の朝鮮半島は現在とは異なり、南海と黄海の海面がずっと低く、陸地が今より広かった

 

 

  遺物と遺跡
 
   

櫛目文土器

土器の表面に櫛状の施文具で幾何学文を入れ、各種の文様をほどこした土器。
櫛目文土器は、朝鮮半島全域で出土されている韓国の新石器文化を代表する土器である。しかし、韓国の新石器遺跡では櫛目文土器以外にも、隆起文土器、前期無文土器など、様々な文様や形をした土器が発掘されている。特に、地域によって様々な差があり、文様や形態を基準として東北・西北・中西部・南部地方などに分けられる。たとえば中西部地方の櫛目文土器は尖底を基本としているが、南部地方は尖底ではあるが丸みを帯び、また東北地方は平底の深い鉢状の土器が主流になっている。

磨いた石器 : 石を磨いた石器

磨製石器ともいう。石の全面を磨いたものが多いが、年代の古いものの中には必要な部分だけを磨いたものも少なくない。主に新石器時代と青銅器時代に使用された。

朝鮮半島では、BC5000年頃の前期新石器時代の遺跡として知られている襄陽鰲山里の遺跡から釣針、石ナイフなどの磨製石器が出土されている。BC4000〜3000年頃の遺跡として推定される平安南道温泉郡弓山里、大同郡C湖里、海道鳳山郡智塔里、咸鏡北道雄基郡西浦項、ソウル岩寺洞、京畿道廣州郡I沙里などの遺跡からも石くわ ?石斧 ?石槍 ?石鎌 ?石鏃 ?磨き石など、様々な磨製石器が出土されている。

 

 

  食べ物と農耕
 
     
   

新石器時代の主な生計手段は、狩猟と漁猟、野生植物の採集であった。貝塚は当時の人々が食べ捨てた貝殻と生活道具が積まれてできた遺跡である。

貝類はカキが主流になっているが、アワビ、サザエ、タニシも多い。鹿角製の銛や釣針から漁撈生活の一面をわかるが、特に網錘の出土で、網による漁猟も漁撈生活の重要な部分であったことがわかる。また炭化したドングリや挽き石及び挽き板、狩猟に使った石製の矢鏃などから当時の生業をわかる。

また新石器時代の石鎌、石の犂の刃などの農耕道具と、炭化した穀物が一緒に出土されたことにより、農耕が始まったことが推測できる。鳳山智塔里、平壤の南京遺跡などから穀物が出土された。新石器人は収穫した穀物の粒を挽き石(挽き板)で挽き、その殻を剥して食べた。その以前までは、生で食べたり、焼いて食べたりしていたが、新石器時代からは土器に入れ、お粥のように煮て食べたと推測される

 

 

  生活相
 
     
   

新石器人は、水や食糧が豊富な大きな川や海辺に定着して暮らし、遺跡としては住居跡や貝塚、墓などがある。新石器時代の住居形態としては洞窟や岩陰もあったが、竪穴が最も普遍的であった。

台地は円形や方形で、直径4〜6m、深さ6m、長さは50~60cmほどであった。その中央に石や土で円形や楕円形の縁を囲んで作った炉を設け、室内を暖めたり、料理をしたりした。その他、階段や傾斜路を作って利用した出入口や底がない土器を床に逆さまに埋めた保存庫などがある。
新石器時代の墓としては春川校洞の洞窟墓、蔚珍厚浦の集団墓、統營烟臺島、欲知島、上老大島及び釜山凡方の貝塚から発見された墓などが知られている。蔚珍厚浦のものは、自然の穴を利用した洗骨葬であるが、その他は穴を浅く掘り、特別な施設を加えず、埋葬した土葬墓である。